こんちくわ!Shygonです!
今回はアメリカ国内でもとても話題になったいまアメリカが抱えている社会問題に真っ向から立ち向かった
ウィンド・リバー
について熱く、熱く語りたいと思います!
2017年に製作された本作はサスペンススリラー映画ですが、それ以上に評価された理由は本作が真っ向からいまアメリカが抱えている社会問題に真っ向から立ち向かったからです。
一言この作品にかける言葉があるとすれば この作品は見るべきです。
サクッとあらすじ
アメリカ中部、ワイオミング州ウィンドリバー。
壮大な自然に囲まれ、町全体が雪に覆われ、ネイティブアメリカンの住む場所としても知られている美しい田舎町が突然事件に巻き込まれます。
ある日突然の山中から若い女性の遺体が発見され、捜査が始まるのですが、気候など厳しい悪環境のため、助っ人がFBIから新人女性警官(エリザべス・オルセン)が捜査のため街を訪れてきます。
第一発見者のコーリー(ジェレミー・レナー)は人手不足から捜査の手伝いを、自らの仕事ハンターをしながら手伝うのだが、、、
ただのミステリー映画の枠を超え、いまのアメリカを突き動かすような問題作なのです。
ウィンド・リバーの背景
時間の上映時間の中だけで十分この映画の魅力は詰まっているのですが、製作背景を知ると魅力が倍増するので、先に映画製作の裏を語らせてください。
俳優
主演はジェレミー・レナーとエリザベス・オルセンです。
どちらも現在マーベルのアベンジャーズに参加しているいま旬な俳優で、とくにジェレミーレナーは主要人物のホークアイを演じている俳優でもあります。
俳優の魅力は最後のパートで語ります。
製作スタッフ
次に監督です。この映画の背景としてこの人物を語らないわけにはいきません。
テイラー・シェリダンが監督を務めていますが、同時に脚本も書いています。脚本家として何本かの映画に参加した後、本作が始まる初監督作品です。
この人脚本家として何本か映画製作に参加しています。
「メッセージ」や「ブレードランナー2049」のドゥニ・ヴィルヌーブ監督の映画「ボーダーライン」に参加して高い評価を得ると、前作「最後の追跡」では見事アカデミー脚本賞にノミネートされます。
脚本家として確実に名声を得ている新税の脚本家のひとりです。僕個人としてはもう少し脚光を浴びて、評価を受けるべき人物だと思います。
ミステリー映画の枠組みを超えるワケ
この映画の魅力を伝えるのは結構難しいです。
本作の監督テイラー・シェリダン の過去の作品を拝見したことのある方は僕がいま言っていることを十分できると思います。
本作の魅力を語る前に、彼の作品の傾向とその魅力を抽象的にご説明します。
脚本家テイラーシェリダンの仕事の流儀
過去作品の「ボーダー・ライン」や「最後の追跡」のどちらにも当てはまることなのですが、一面的に彼の作品をみるとただのその辺の映画と変わりません。現になぜ過去2作品が評価されたか理解できない方は多いと思います。
彼の映画の作風は、一面的に捉え感じた彼の作品と、視点を変え多面的に見るのとでは違う感覚を持つということが言えます。
今作ウィンドリバーも含めて、彼の描く世界観は一瞬単純に見えるのですが、実は奥がすごく深いです。
社会的メッセージの含まれる作品は初めからそのような方向性で映画製作をするので、大衆向けには決してならず、観客にはアクション映画で味わうようなハラハラウキウキ感は一切ありません。
しかし、彼の映画は映画という最低限観客が楽しめる、ハラハラドキドキや興奮を覚えるような描写がしっかりあるのです。
ですが、その根底には現代に訴える力強い魂が込められているのです。それを表面的に押し込むのではなく、フワッと後からついてくるような感覚です。
つまり、自分のラーメンをたらふく食べた後、予期せぬサプライズでシロップがたんまりかかったアイスクリームをたいらげるような、あの感覚なのです、、、
実はこれは簡単のようでとても難しいことです。
上映時間が決まっているためどこに重点を置いて映画製作を行っていくのかという、さじ加減がものすごく難しいのです。その微妙な味付けを彼は絶妙にコントロールすることに長けているのだと僕は強く思います。
いままでいるようでいなかったアクション映画かつ社会派映画。
この分野はもしかすると彼にしかできない唯一無二の分野になるかもしれないです。そして、次に本作ウィンドリバーについて語ります。
ウィンド・リバーのココがスゴい!!!
心理的描写とミステリー感
舞台がアメリカ中部の田舎ワイオミングであり、中でも壮大な自然が広がる山々に囲まれれたウィンドリバー。
そして、そこに住んでいる人たちはネイティブアメリカンたちです。それだけで映画の画作り的には映画として成り立っていると思います。
しかし、この映画では壮大な美しい自然を大きな画面で見せることが目的ではないので、監督はそこの美しさを全面的には表現してこなかったのです。
彼が我々に見せたいことは、 その壮大な大地で起こる密室事件を描くことです。なので、見ている人は不思議に思うことでしょう。
なぜならそんなに壮大な山々に囲まれた中部の田舎街が舞台なのにも関わらずまるで狭い一室の中で犯人捜しをしているかのように思えてくるからです。
そして、そんな美しい景色と大雪の中を背景に、犯人を追い詰めていく警察と彼らとの逃亡劇が描き出されます。
これからはネタバレになりますが、物語の進行とともに犯人を絞っていくと、
目の前にいる疑がわしい犯人たちとの心理的描写は言葉が出ません。
そして、逆境に立たされた犯人と警察との間にはいまでもはち切れそうな糸が緊張感を作り出すのです。
いざ犯人たちの正体が暴かれそうになったとき、そのイイ時に、物語は過去の殺人が行われた経緯を回想シーンとともに突如切り替わるのです。そんなことはサビの前でお気に入りの音楽が止められるようなものです。
いままで、ミステリー映画の常識として、日本でいう「相棒」のように、動機は犯人が捕まった後なのです。
そのいわばルールを無視し、一番の見せ場の前に挿入してくるのです。その方法がまた絶妙なのです。
1991年に公開された名作「羊たちの沈黙」で使われた初めて披露された技術で、最後犯人を捕らえようとしたときに、ドアを押し入った警察と犯人の家の距離感の撮り方をうまく表現した、映画史史上数少ない名シーンがあるのですが、
その名シーンに似た画作りが「ウィンド・リバー」からも垣間見ることができました。
その描き方や前置きは観客を間違えなくハラハラさせ、最高の興奮をこのシーンから得ることができ、僕からしたら最高過ぎました。
アクションを忘れるべからず
そして、最後に銃撃シーンについてです。
結局警察に追い詰められ、後がない犯人たちは銃を乱射しはじめ、警察と撃ち合いに発展するのです。そこでも監督の腕が光ることになったのです。
ただただ銃弾が飛び交う描写ではないのです。その辺の陳腐なアクション映画ではなく上品に描きます。
1995年に公開されたアクション映画の金字塔「ヒート」の銃撃シーンを彷彿されると思います。あの映画の魅力はここではかたりきれないほどありますが、そのひとつとして、
銃撃シーンを’パンパン’という銃の発射音ではなく、銃が鳴っていないときの無音で、臨場感を出しているところが最高にカッコいいといえるのです。
そのお洒落な臨場感を本作ウィンドリバーからも感じ取ることができます。
ウィンド・リバーが現代に訴え続けることとは?
そして最後に映画の一番重要と言って過言ではない、映画の中で本作ウィンドリバーが訴え続けることはなんなのかです。
この映画が込めるメッセージはこの映画の舞台がなぜここに選ばれたのかに直結してきます。
舞台が田舎町のネイティブアメリカンが主に住む町に焦点に当て、映画を撮影したことも初めから一貫していいたいことは一つしかなかったのです。
女性の立場とネイティブアメリカンの権利向上への認知
これ以上これ以下もなく、このメッセージこそがこの映画を見る上で全てであったのです。物語の中では、若い女性が何者かに殺され、その犯人捜しからこの映画はスタートします。
しかし、その犯人捜しをサポートしていた主人公のハンターはこの事件の前に娘をこの事件のように殺され、失っていたのです。
そして、映画の中でははっきりは言及されていませんでしたが、そのことが原因で奥さんとも離婚をしていたのです。
物語は最終的に娘を犯した犯人を突き止めることが出来たのですが、殺された娘の父であったネイティブアメリカンの人と主人公を演じるハンターが最後のシーンで、言葉にできず、怒りの向け口のわからないもどかしい気持ちを坦々を語る会話のところでエンドロールが流れ始めるのです。
そして、それと同時に世界が女性の権利向上のため動いている中、
ネイティブアメリカン女性の被害者が年々増えて続けていること
そしてそのほとんどが未解決のまま捜査が打ち切られていること
を知らされるのです。
つまり、ネイティブアメリカンのことはいまのアメリカでは忘れ去られ、時代の産物として無視され続けているのです。
ちょっとスパイスの効いたミステリー映画を見ていたはずの僕らはエンドロールが流れ始めたのと同時に気付くのです。
単なるミステリー映画ではないと。
びぇ!