こんちくわ!Shygonです!
今回は各映画祭で絶賛の嵐
スリービルボード
を熱く語りたいと思います!
僕はここで断言しますこの映画「スリービルボード」は間違いなく2018年ベスト映画であり、僕の中で、数少ない何回も見たくなる映画の一本です。
好きなんですよ!!
このような人間の思惑や心情が入り乱れ、話が展開していく映画を。
見てて迫力を感じたり、映像美があるような映画ではなく、人々の普遍的な生活の一部を切り取ったような映画です。
なので、ぜひ見てほしい。
僕が太鼓判を押す映画、それが「スリービルボード」です。
本作はど田舎を舞台にある1人の女性が大胆な看板を建てたことで、事態思わぬ方向へ向かうのです。それは誰も予想だにしない出来事の連続でした。
サクッとあらすじ
舞台はアメリカミズーリ州田舎町エビング。
数ヶ月前に娘をレイプで亡くなり、未だに犯人逮捕に至ってない警察に腹を立てたあるお母さんが挑発的な3つの看板を建てたとことが、警察を怒らせてしまう。
全く屈服しない彼女のやりようは度肝を向いたものへと変わっていき、誰も止められなくなってしまう。
ただのひとりの女性の思いつきが一般市民だけでなく警察までも巻き込む大事態へと発展するのであった。
「スリービルボード」はなぜ3つの看板なのか?
本作は日本公開時に「スリービルボード」として改題され劇場公開されました。なので、原題は
Three Billboards Outside Ebbing, Missouri
という題です。
語尾の2字はミズーリ州エビングというアメリカの地名の名前で、はじめの3字は道路脇の3つの看板という意味です。
本作は主人公ミルドレッドは娘が殺されたことを悔やみ、町の入り口に大きくそそり立つ3つの看板に警察の対応の悪さを訴える広告を出すことから始まります。
エビングはとうの昔に廃れ、町の入り口に大きな3つの看板だけがぽつんと残っている状態でした。
繁栄期にその3つの看板は町の象徴的存在だっただろうですが、いまはその面影すら見えません。
そんな町を象徴する大きな3つの看板を由来としてこの映画の題名は名付けられました。しかし、実はこの3つの看板という題名
ただ看板が3つあるからではない
ココが本作の重要なポイントです。
3つの人物にスポットを当てて進行していく
本作の主人公は誰と言われると、わかりません。
はじめはミルドレッドというレイプで娘が殺された母親の話なのですが、徐々に新たな人物が物語の舵を切っていくようになります。少しするとカメラはまた別の人物を追うようになるのです。
境目の個所で故意にテロップを入れて主人公を変えていくのではなく、見ているといつの間にかに観客は別の人物を追っていたという非常に奇妙な状況が毎回出来上がります。
はじめにミルドレッドを主人公として捉え、追っていたとき端役に過ぎないと思っていた人がいきなり主人公になる、こんな巧妙なトリックはたまりませんよ!!!
具体的にその3人は誰なのか
キャラクターの魅力については次章に語ります。
3人の大きな看板を背負うキャラクターたち
(ネタバレが含まれます。)
主要3人のキャラクターについて触れておきます!
①ミルドレッド(フランシス・マクド―マンド)
7か月前に何者かにレイプされ殺害された娘の母親。
いまだに解決できていない警察に腹を立て、
1枚目には
「私の娘はレイプで焼き殺された。」
2枚目には
「犯人はいまだに捕まっていない」
3枚目には
「警察長はなにをしているんだい?」
と訴えかけるのです。
回想シーンなどを踏まえて、いかにこの母親が娘を愛していたかがよくわかり、心を痛むのです。観客は娘が殺された母親に感情移入するのです。
②ビル(ウディ・ハレルソン)
エビングの警察長。2人の娘に恵まれ、家族4人で仲良く暮らします。
しかし、ミルドレッドの挑発に腹を立て、広告を取り下げるよう直談判しにいくが失敗に終わります。
彼には急ぐ理由があったにもかかわらず、決して誰にも打ち明けることもなく自分一人で全て抱え込んでいたのでした。彼は重度のガンに犯されていたのです。
そんな難しい役柄を「ハンソロ スターウォーズ ストーリー」やNetflix映画「ザテキサスレンジャーズ 」やウディ・ハレルソンが演じます。
③ディクソン(サム・ロックウェル)
この人は全編通じてアホが丸出しな警官です
そのうえ差別主義者で黒人を名指しして差別用語をいうような人です。暴力的で後先考えず、行動してしまうため後々大問題を引き起こすのです。
サム・ロックウェルは、本作でアカデミー助演賞を受賞し、他にもディックチェイニーの伝記ドラマ「バイス」でブッシュ元大統領を演じました。
ストーリーを徹底的に語る!
ここからは本作の構成ぽく、謎を紐解いていきましょう。
本作は3部構成で以下のようになっています。
- ミルドレッドパート
- ビルパート
- ディクソンパート
ミルドレッドが主人公で物語の冒頭部分から語っていきます!
なぜこんな分け方をするのか、それは最後までお読みになるとわかるでしょう。
ミルドレッドの物語
娘をレイプされ殺された母親ミルドレッドの奇行が坦々と描かれます。
娘を失った苦しみは理解できるが、あの看板は倫理的に良くないと神父が忠告にくるも、跳ね返し、クレームを入れに来た歯医者には復讐として徹底的に攻撃します。
彼女のドが過ぎた行動にまわりがあたふたする様子がはじめのパートで描かれ、彼女のすること全てに警察は悩みます。
次はビルに徐々に焦点が当てられ、ミルドレッドに変わって物語の語り手になります。
ビルの物語
ミルドレッドの行動に歯止めがきかなくなる頃、ビルはついにガンで倒れます。
一回立ち直ったが、最後は拳銃で自らの生涯を閉じてしまいます、最愛の娘と妻を残して。彼の死に際の演技には迫力があり、見ているものは涙するでしょう。
それくらい本作の中でも重要なシーンであり、感動を呼ぶシーンでもあるのです。
町のみんなから慕われ信頼を得ていた所長の死は町民には痛すぎるダメージで、特に他の同僚は泣き崩れるのでした。
彼は死ぬ前、妻、警察たち、そしてミルドレッドに手紙を残していたのです。それを貪るかのように、涙しながら読むのでした。
それらの手紙は亡くなった後、ナレーションとしてビルが読み上げるのは圧巻なシーンです。
そんなことがあろうと一切意識を変えようとしないミルドレッドでしたが、ディクソンは違っていました。
こうして、最終章の主人公ディクソンへとバトンは受け継がれていくのです。
ディクソンの物語
ディクソンというキャラを頭が悪いなあと思うシーンが本編通じてよく出てきます。さらに暴力的で差別主義者でもあるためどこも好きになるところがありません。
こういうキャラは映画の中では常に嫌われ、敵役に存在する場合が多いですよね
結局ビルが自殺したことで自信も自暴自棄になり、警官の立場ながらミルドレッドの看板を請け負っていた会社の社長に殴り込みにいき、2階から突き落とし暴れまわるのです。
もうメチャクチャです。
当然ながら警官をクビになってしまいます。しかしここから事態は再び思わぬ方向に変わっていくのです。
ビルが亡くなる前、ディクソンにも手紙がありそれを読むため深夜の警察署にいくのです。
ここでヤツが行動するのです。
本作のトラブルメーカー・ミルドレッドです。
完全な偶然なのですが、怒りが収まらない彼女は警察署に火を点けたのです。警察署の中にいたディクソンはかなりの火傷を負い、後遺症が残るまでひどいものでした。
エンディング
火傷を負ったディクソンは病院に送られ、ある光景を目の当たりにします。
横の病室にいたのは自分がボコボコにした看板屋の社長であり、自分と同じように包帯でぐるぐる巻きになっていたのです。
目の前の人にされたにも関わらず、彼は自分にオレンジジュースを与えたのです。そんな彼を前にディクソンはいままでの行動を悔いるかのように、泣き崩れるのです。
後日、職なく後遺症で苦しむディクソンはバーに行きます。そこでも彼は他の人に喧嘩を売り、返り討ちにあいボコボコにされます。
実はこの後に衝撃のラストがあるのですが、その前に本作が僕ら観客に訴えかけている本質を探っていきたいと思います。
「スリービルボード」が各方面で大絶賛された理由とは!?
ゴールデングローブ賞では最多3部門を獲得し、90回アカデミー賞では、主演女優賞と助演男優賞をとりました。
ではなぜ四方八方から絶賛の嵐なのでしょうか。
はじめに単純に理由なく映画として楽しめます。見ていて次になにが起こるのだろうという
予測が極めて困難な映画です。
観客として次はこうなるであろうという大体の予測が数分後には全く違う方向へと向かっているのです。そのすぐ後にはまた予測も付かない方向へ動かされるのです。
次のシーンの展開が全く予想ができない
というのが本作の魅力のひとつです。
そして本作最大のテーマが最大の魅力になっています。
人間は見た目や中身は簡単にはわからない
そして、先入観などはいとも簡単に崩されてしまうもの。
ということが本作の全てであると思います。
物語が進んでいくうちに
キャラクターへの先入観が見事にひっくり返るのです。
観客としてこの映画を分析すると
ミルドレッドはレイプで娘を殺され、かわいそうな母親ということもあり観客は彼女目線で映画を捉えようとしまう。でも彼女の行き過ぎた行動に徐々に観客は距離置くようになったでしょう。
ビルは町の警察長としてみんなからの信頼がありますが、一つのレイプ事件を解決できないことからあまりいい印象ではありません。しかし、彼が自殺する前後から彼に対する感情は180度ガラっと変わります。
そして、問題児ディクソンです。
彼は差別主義者なうえ暴力的なので誰も彼の肩など持ちません。警察をクビになったあと、放火に会い火傷まで負いますが特に彼に感情などありません。
しかし、最後のバーでの喧嘩には理由がしっかりあったのです。ひとりでお酒を嗜んでいると、後ろの席から聞き覚えのある話が飛び込んできます。
ミルドレッドの娘が殺されたときに近いような話をしていたので、なんとしても捕まえてやろうと、そいつのDNAを得るためわざと挑発したのです。
顔が後遺症でぐちゃぐちゃなうえ、さらにボコボコにされる彼は正直耐えられませんが、必死にクソ野郎は踏ん張ったのです。
結局そのDNAは検査の結果犯人とは一致していませんでした。その事件当時その男はイラクに従軍していてアメリカ国内にいなかったのです。
ミルドレッドにそれを話したディクソンですが、二人は納得できず復讐にいくことを決意します。
そして車の中でミルドレッドはディクソンに警察を放火したのは私であるといままで決して自分の非を認めなかった女が白状したのです。
Who the fuck else would have done this?
(お前以外の誰がやるんだ?)
とディクソンは言い返し映画の幕が閉じます。
この華麗な返しは個人的に一番すきな言葉ですが、ディクソンの性格を同時に垣間見ることできます。
ここで映画の幕が閉じるためその後どうなったかは誰にも分りませんが、彼らがわざわざアイダホ州まで行くのは無駄足であったと推測します。
事件が起きたときはその男は国外にいたので、2人は単に人を殺しにいったように思えるのです。
そんな空回りさえもあのふたりの行動なので、面白く思えるわけです。差別主義者で暴力的なディクソンでさえも映画が終わってみると愛情が謎にわいてきます。
最後に
看板はなにかを宣伝するために使われます。
しかし、誰もその看板の裏を見ようとは思いません。まさに人間は看板のようなものだ、と比喩的な表現を看板に置き換えるとできるのです。
そして、3つの看板はもちろんあの3人であり、
やっとここで「スリービルボード」の真意を理解することができたのではないでしょうか。
そして、本作は性差別などいま世界中で問題になっていることへの静かな怒りを表明しています。こんな静かな怒りほど怖く思えたことがないくらい本作の影響力を僕は受けています。
びぇ!