星の彼方へ。
本作のタイトル『Ad Astra』の意味はラテン語で「星の彼方へ」という意味。宇宙飛行士だった父親が宇宙で行方不明になり、16年。息子ロイも父親を探すべく宇宙へ旅に出る。
ヴェネツィア国際映画祭で公開されると、主演のブラッド・ピットはキャリア史上最高演技と批評家たちから絶賛された。
アカデミー賞最有力とまで言わしめた本作の謎を紐解く。
サクッとあらすじ
地球外生命体の存在を発見すべく宇宙へ飛び立ったクリフォード・マクブライド。16年後、彼は行方不明となり、誰もが死んだと思っていた。
エリート宇宙飛行士となった息子ロイただひとり父親の生存を信じ、宇宙の果てまで父親を探しにいく旅にでるのだが‥
キャストと製作陣
キャスト
主演のロイ・マクブライドはブラッド・ピットが演じた。『オーシャン11』や『ワンスアップオンアタイムインハリウッド』など、知らない人のいない俳優。
映画制作会社Plan Bを立ち上げ、プロデューサーとして、数々の映画の製作を手がけ、本作もPlan Bによる製作作品。
宇宙で行方不明になった父親を『メンインブラック』や日本では缶コーヒーのCMでお馴染みのトミー・リー・ジョーンズが演じた。
他にも『ラビング』で注目された黒人女優ルース・ネッガや、父親の長年の友人をドナルド・サザーランドが演じる。
製作陣
監督は『ロストシティZ失われた黄金都市』で知られるジェームズ・グレイ監督。
前作ロストシティも伝説の古代都市を信じる主人公が無謀な挑戦をする冒険映画であり、製作もブラッド・ピットのPlan Bが手がけているなど、本作との繋がりが見受けられる。
本作で注目すべきポイントは撮影監督を担当したスイス人のホイテ・ヴァン・ホイテマ。
『裏切りのサーカス』や『007スペクター』、『ダンケルク』など有名のShygonのお気に入りの撮影監督。
本作を陰の宇宙映画と呼ぶ筆者だが、壮大な宇宙をバックに独特の世界観を形作ったもうひとつの要因、ドイツ人音楽家マックス・リヒター。
スコットランド女王を描いた『ふたりの女王メアリーとエリザベス』などの音楽を担当。
感想
ブラッド・ピットが宇宙へ旅出る。
地球外生命体(=エイリアン)の存在を信じて疑わなかった父親は研究のため宇宙に出たきり行方不明に。16年後、父親の背中を追うように息子ロイも、宇宙を夢見て宇宙へ飛び出す。
ブラッドピットの演技が各方面から絶賛され、アカデミー賞最有力とまで言われるようになった。
だが、映画サイトRotten Tomatosによると、批評家から絶賛される反面、観客からは48%と散々な結果に。
なぜこれほどまでに観客と批評家の感想の乖離状態が起きるのか?

65点/100点
毎年のように量産される宇宙映画の中でも、別角度から宇宙体験を表現し、これまでにない壮大なストーリーだった。ただ主人公の感情描写や父親との決着がイマイチ。
はじめに素晴らしい描写から紹介していこう。
ヴェネツィア映画祭に出品し、公開時期を9月にするなど、明らかにアカデミー賞を意識した作品なのは間違いない。
ここ最近は毎年のように宇宙関連の映画がバンバン製作され、毎年のように各映画祭を賑わす。
過去7年を振り返えると、いかに宇宙関連の映画に需要があり、今ホットな題材なのかは一目瞭然。
2013:ゼログラビティ
2014:インターステラー
2015:オデッセイ
2016:パッセンジャー
2017:ドリーム
2018:ファーストマン
2019:アドアストラ
*『ファーストマン』の解説はこちら
アカデミー賞で賞レースを牽引した『ゼログラビティ』やShygon的お気に入り映画『インターステラー』、そしてマッド・デイモン主演の『オデッセイ』など、各年を代表する映画に必ず名前が挙がる映画は宇宙関連の映画が多い。
宇宙関連の映画は視聴効果や撮影賞など、アカデミー賞で確実に狙えるコアな分野があり、本作も撮影賞や視聴効果賞のノミネートを完全に狙いに行った製作会社の思惑も感じ取れる。
アカデミー賞を取るだけで興行収入が違ってくるので、製作会社は必死でロビー活動をするわけですよ。
宇宙関連の映画は確実に分野を絞って製作しているので(勿論素晴らしい映画でないと論外だが)、毎年のように同じような映画が量産される。
本作はそれを逆にとって全く新しいアプローチで宇宙の謎を紐解いている。それだけでみる価値は充分にあり、主演がブラッド・ピットになってくると必須映画になる。
これまでの映画は宇宙を舞台に人類が活躍する宇宙飛行士を英雄視し、感動的な展開に持ってくことが王道でした。
『オデッセイ』や『ゼログラビティ』はその典型的な例であり、危機一髪の状況を逃れて、スーパーマン的な活躍を見せる訳です。
いまの宇宙映画の流れは『ゼログラビティ』の影響が絡んでおり、今作が製作される前と後で宇宙映画の気質も大きく変わってくる。
それの功績は映画の歴史の中でも大きく、それを裏付けるようにアカデミー賞では10部門ノミネートされ、7部門受賞と驚異的な記録を残した。
無重力の中で辛抱強く生きる女性の強さを表現し、まるで観客が宇宙に取り残されたような感覚に陥るあの感覚は、思い返しただけでも、鳥肌がたつ。
それほど強烈な印象を残したし、のちの宇宙映画の指標となった。
ただそれからは『ゼログラビティ』を彷彿される展開の多様や、カメラなどゼログラのコピー映画が量産され、それらが市場を圧巻する最悪の事態を招いてしまった。
またこんな展開かとため息をつくほど、変わらない題材に変わらないメッセージ性に正直疲れてしまった。
宇宙映画の始まりと言われる1969年の『2001年宇宙旅行の旅』から半世紀ほどが経つが、本作の新たな取り組みや違ったアプローチで宇宙を描こうとする姿勢はとても好きで、その世界観は素晴らしいかった。
予告編だけ見ると、また量産型宇宙映画かとしか思わなかったが、蓋を開けてみると、そんな量産型の宇宙映画というのは恥ずかしいと思ってしまうほど、全く違う映画に出来上がっていた。
失踪した父親を探すべく、壮大な宇宙を旅する息子ロイには悲しすぎる結末が待っていた。
やっとの想いで父親を見つけたものの、「俺は30年家族を捨て、地球外生命体の存在だけを探すために研究をただひとりで続けていた。」と20年ぶりの再会で、地球から遥々来た息子を嬉しがらず、冷酷な姿勢を貫く父親。
そこには30年続けても地球外生命体の存在が見つけられなかった絶望感と30年間誰とも会話をしなかった孤独の中に生きる仙人のようなオヤジだった。
感動な再会を経て、地球にふたりで帰還してくるストーリーかと思いきや、そんなハッピーエンドは存在しなかった。
生きることに絶望し、全てを犠牲にして探し求めてきたエイリアンの存在を突き止めることができなかった男は死を選ぶのでした。
そこには息子との感動的な出会いや、息子を想う理想の父親像などなく、あるのは抜け殻状態になった仙人。
こんな悲しい展開は他にあるだろうか。主人公ロイが20年ぶりに念願の父親と再会を果たすシーンは圧巻で今でも頭から離れない。
謎の宇宙船に侵入したロイは死体が宙に浮く不気味な状況の中をかき分けて生きながら、宇宙船の中へ入っていく。
あたりを見渡していると、上から人の声が聞こえてくる。「ロイ?ロイか?」上を見上げると髭ズラの老人がひとりこちらを見つめていた。
ふたりは一瞬の間があったものの、お互いに凝視し、久しぶりの親子の会話を続けた。話しているとロイの目から涙がポツリポツリと流れていく。
感動的なシーンのはずなのになぜかとてもシュールで会話を続けるふたりだったが、ロイだけは平常心でいれないことが彼の涙からわかる。
前作『ワンスアップオンアタイムインハリウッド』では陽気な兄ちゃんを演じてきたブラッド・ピットが、本作では父親を好きで堪らない少年のような心を持ったエリート宇宙飛行士を熱演している。
同じ俳優とは思えないほど、ブラピの演技の幅の広さには脱帽だ。
普段の宇宙映画はたとえ人間はちっぽけだろうと、私たちはできるのよ!と勇気をもらうほど感動的かつ宇宙の壮大さと人間の偉大さを上手に表現している。
でも本作で描かれる主人公ロイの人物像はそんな既存のヒーロー感から逸脱しており、上記で本作を宇宙映画の陰を表現したのはそんな意味合いがある。
ここまでが本作の素晴らしいところであり、僕は人間のダークな内に秘める感情を全面に描く映画がたまらないほど好きなので、とてもいい運びであった。
だが、問題はこれから。
ここまで本作の魅力をふんだんに語ってきたが、ロイの恋愛描写とオチが本作を崩壊させた。
ロイも父親と同じように仕事に没頭するあまり愛する人をほったらかしにし、愛する妻は家を出て行った。
そんな愛する人とのロマンティックな記憶が断片的に差し込まれるが、あまりにも稚拙すぎる。
後から取ってつけた感がすごいし、明らかにいらない描写。
さらにこれはオチにつながってくるが、父親は生きることに絶望し、死を選び、息子のロイは地球へ帰ることを決断する。
ひとり宇宙船に乗り、地球に帰還する。地球へ急降下を始め、雲を抜け徐々に大陸が見えてくる。
無事に地球に帰還し、別の職員から助けをもらうところで本作は幕を閉じたが、これほど酷いオチは久しぶりだ。
どんどん降下し、川が見えた瞬間僕は「あ、この映画はやってしまった。」と正直思った。落ち方が『ゼログラビティ』と全く同じなんです。
個人的にロイだけが地球に帰ってくるプロット自体納得していないし、帰ってくるとしてもなぜ最後だけゼログラ感を全面に出してくるのか。
宇宙映画へのアプローチがとても斬新なのに、重要な最後のシーンだけ王道な量産型宇宙映画に寄せてしまったのは正直納得がいかない。
それを理由つけるために、元妻と関係を戻す描写が最後に描かれ、ハッピーエンドとなる。
おそらく家族を犠牲にした挙句、自ら死を選んだ父親から学び、家族を大事にすることの大切さを学んだようだが、最後のカフェのシーンで理由なく元妻からロイのもとに訪れるなど、あれほど磨きかかったシーンを演出したのに、一気になり崩れになっていく。
それなら尊敬していた父親を追うべく宇宙に旅たった息子は、これまでの理想の父親像に絶望し、自己嫌悪になりながら、宇宙の果てでその人生にピリオドをうつ展開の方がよっぽど理に適っている。でもそんな映画を作っても、評価はされないだろうしなぁ‥
もう少し考えてみます。
びぇ!