こんちくわ!Shygonです!
今回は画家ゴッホの人生を描いた映画
永遠の門ゴッホの見た未来
について熱く語りたいと思います!
2018年に公開した本作は、フランスのポスト印象派フィンセント・ファン・ゴッホの伝記映画です。
サクッとあらすじ
人付き合いができないフィンセント・ファン・ゴッホ(ウィレム・デフォー)は、いつも孤独だった。
唯一才能を認め合ったゴーギャンとの共同生活も、ゴッホの行動により破たんしてしまう。
しかし、ゴッホは絵を描き続け、後に名画といわれる数々の作品を残す。
(シネマトゥデイより引用)
ゴッホそのものを描き出した天才
画家として監督として
画家としても有名なジュリアン・シュナーベルが監督と共同脚本を務めました。フランス出身の著名脚本家ジャン=クロード・カリエールが脚本にクレジットされました。
シュナーベル監督は英語とスペイン語が流暢ですが、ゴッホは英語とフランス語を話すため、よりリアルを描くためにフランスを代表する脚本家カリエールが参加しました。
ジュリアン・シュナーベル監督の自身のキャリアは画家からはじまりました。
画家として活躍する一方、監督として映画界に進出するとカンヌ映画祭やヴェネツィア映画祭でその手腕が高く評価されました。
自身も新表現主義という新しい分野を確立した画家なため、画家としての挫折や経験を生かし、ゴッホの見えざる人生を描き切れたのです。
ゴッホの他に、20世紀を代表する画家バキスアの伝記映画も撮りました。バキスアの絵は最近ZOZOの社長前澤友作さんが100億を超える値で買われていました。
ゴッホそのものにしか見えない。
これまで絵画史を代表する偉人の映画化は幾度もされてきました。
映画としてゴッホの見た世界を描くものもあれば、ドキュメンタリーとして史実に基づき、ゴッホの人生を伝えるもの。
本作はシュナーベル監督がインタビューで語ったように、監督自身が言い切っています。
「この映画は僕の中での解釈を映像にしたものだ。史実に必ずしも沿ったものではない。」
そんなシュナーベル監督版ゴッホの中でゴッホはどう描かれたのでしょうか。
その前にキャストのご紹介を。
ゴッホ
主人公ゴッホ。一風変わった作風の絵を描くが、全く売れない画家。対人関係が苦手なうえ、謎の病に苦しむ。
ウィリアム・デフォーが演じます。僕が特に好きな俳優さんで、今回もエグいほどゴッホに変貌し、風貌からアクセントや目つきまで再現。
本作のために、ゴッホの史実を読み込み、絵の勉強やアクセントの練習など全て徹底して、ゴッホに寄せています。まさに達人の域。
ウィリアムデフォーの他作品はこちら
テオ
ゴッホの唯一の理解者であり後援者。実の弟。彼だけがゴッホのことを理解し、支援を続けていたと言われている。
ルパート・フレンドが演じます。ドラマ「Homeland」に出演。
ポール・ゴーギャン
ゴッホの友人であり、有名な画家。生前に脚光を浴びることがなかったゴッホとは対照的で、ポスト印象派として著名な画家であった。
日本の浮世絵などに影響された独特な作風の持ち主。
オスカーアイザックが演じます。「スターウォーズ」のポー・ダメロン役やShygon的生涯ベスト映画ランキングにランクインする「インサイドルーウィンデイビス」に主演。
その他に北欧出身で「ポーラー狙われた暗殺者」で知られるマッツ・ミケルセンやフランスを代表する監督俳優のマシュー・アマルリック、シュナーベル監督作品おなじみのエマニュエル・セニエなど豪華俳優陣が脇に揃える。
生涯決して脚光を浴びなかったゴッホの人生
絵画史において、いまなお多大な影響を与え、人々を魅了し続ける。
日本でも有名な画家の中で、レオナルドダヴィンチやクロード・モネらと肩を並べるほど知名度が高いのが裏付けている。
そんな彼らの歴史を辿っていくと、ほとんどの場合が産まれながらの天才として、存命中から拝められ、死んでなお彼らの意思は引き継がれている。
だが、ゴッホただひとりは違った。存命中に、決して脚光を浴びることもなければ、芸術家として名声を得たわけでもない。
芸術家でまともな人生を歩んだ人自体があんまり多くないようなきがするが、ゴッホの人生は際立ってみすぼらしいものであったと思う。
37歳で亡くなるまで、幾度も病気に悩まされていた。死亡理由がいまでもはっきりしていないほど、多くの病に悩まされて、常に気が動転していた。
まわりからはその奇抜な作風を卑下され、対人関係に常に問題のある人だったという。
芸術家を目指すのであれば、少しくらい頭のネジが外れていたほうが、後世に残る作品を描ける場合が多いような気がする。だか、彼の人生は常軌を逸してる。
誰もまわりにいない彼は、一生愛し続けた女性に振り向かれず、友達もいない。そんな彼の唯一の理解者であったのが、弟テオ。
彼の死後、ある雑誌が彼の作品を評価したことから世界中にその名が知れわたり、死んではじめてシンデレラボーイとなったのだ。
なのでいまだに彼は天国でその事実を知らぬまま、ひとりひもじい思いをしているのであろう。
そんな想像を絶する人生を送ったひねくりものの芸術家をどう本作では描いたのか。
ゴッホという人間を描いてみる。
本編通じて、彼の狂気に満ちた人生を追う。
手持ちのカメラで常に揺れ動くスクリーン。
まるで乗り物酔いになったかのようにブレブレな画角に映るひとりの男性。
ポスト印象派の第一人者として、いまでは名前が上がるほど、世界的に有名なゴッホだが、そんなことなど知らない彼の人生は極めて悲観視してしまう。
靴底が擦り切れ、足がはみ出るまで履き潰された革靴を履き、コンパスを持ち歩いてウロウロ街中を歩き回る。
現存している彼の絵画のほとんどがアルル時代と呼ばれる彼の最期に描かれた。もう死に近づいていたそんな時代にひたすら絵を描く姿が本作では描かれた。
偉大な歴史的人物が映画では描かれることがとても多い。そのほとんどの場合が世の中に偉大な功績を残し、亡くなったあともその影響は多大である。
そういう意味では本作も偉大な画家を描いた映画なので同じである。
でも、他の伝記映画と大きく違うところは、その主人公が客観的にみてどうしようもないやつなんですよ。
今となっては偉大な画家として崇められている歴史的人物の1人ですが、彼の人生は死ぬまで、表舞台に出れるような人生など歩んでいない。
筆者は全米をひとり旅していた際、ゴッホの描いた絵を至る場所でみてきました。特にニューヨークにあるメトロポリタン美術館やMOMAは多くの作品を展示していた。
僕はひとりの観光客として、直近で彼の作品を見たが、素人目線からも彼がどれほど命を削って一つの作品を描いたのか。その熱意を感じた気がした。
彼の人生は客観的にみて、ものすごくひどいものであり、ときに目を向けられrないほどな者であったと思う。
成功を夢見るも、それが叶うことなく命尽きてしまったが、そんな尊い命を削ってでも、一生をかけて作り上げた作品は今世界中の人々に影響を赤絵続けているのだ。
そんな奇人であり唯一無二の天才の苦渋が本作では描かれる。
シュナーべル監督自身が画家であるからこそのリアリティーと画家にしか味わえない苦労と成功を本作では堪能することができた気がする。
びぇ!