こんちくわ!Shygonです
今回は第89回アカデミー賞にて見事作品賞に輝いた
ムーンライト
について熱く語りたいと思います!
2016年に製作された本作はキャスト全員が黒人の映画として、LGBT(性的マイノリティー)を扱った映画として初の作品賞に輝いた映画です。
アカデミー賞では「ラ・ラ・ランド」と一騎打ちで見事勝利し、史上初の快挙を成し遂げました。
では早速語っていきます!
はじめに
本作は作品賞、助演男優賞、脚色賞の3部門を受賞しました。
キャストのほとんどが黒人であるというところが特徴である本作のアカデミー賞の受賞は新たな時代の幕開けの一歩になったことを証明したのです。
「黒人映画の作品賞受賞はレイシズムに歯止めをかけ、ゲイの恋愛映画の受賞はLGBTコミュニティに活気を与え、貧困層に焦点を当てた映画の受賞は今アメリカは何をするべきなのかということを問題提起しました。」
さらにこの映画、共通することがあるのです。すべてにおいて今アメリカが抱えている社会的な問題に触れているということです。
強い社会的なメッセージを持ったこの映画、深く掘り下げ作品の本質に迫っていきたいと思います。
この映画は1人の内気なゲイの男の子の成長を描いています。舞台はフロリダ州、リバーティースクエア。
このエリアはほとんどの人が黒人であり、貧困層の多い地域で有名です。
リトル、シャロン、ブラックの3つのカテゴリーに分かれ時代ごとに、時系列順に物語が進行していきます。
実はこの映画ある戯曲の映画化であり、その戯曲こそが作者の本当の体験から基づき、書かれているのです。
つまり、実話なのです。
監督の意向からあまり有名な俳優は出ておらず、映画の域を飛び越え、驚愕するほどの衝撃がいくつも起こるのです。
2018年公開の「ブラック・パンサー」はヒーロー映画初のほとんどキャストが黒人で占められており、本作と並んで歴史を変えた作品として名前がよく上がりますね。
では「ムーンライト」を熱く語っていきます!
サクッとあらすじ
主人公はシャロン。
彼は内気なことや背が小さいことから、学校では居場所をなくし、虐められていました。
ある日、フアンという謎の男が彼を助けるというところから話が始まります。父親は不在、母親はヤク中であり、家にも居場所がない彼はフアンを頼り、まるで父のように慕うのです。
しかし、実はフアンという男、ドラックのディーラーであり、彼のドラックが母親を破滅に追いやっていることを知り、複雑な気持ちになるシャロンであった。
時は流れ、物語は青年時代のシャロンに焦点が当てられる。
そして最後に立派な大人となったシャロンが旧友と...
主人公のシャロン
この映画では3人の色鮮やかな俳優が時代ごとに演じ切っています。表紙の写真をみるとびっくりするくらい3人とも似て同一人物なのかと疑うくらいです。
普通はここで俳優たちが同一人物に仕上げるために役者魂を発動するのですが、多くの場合は似はするが、一致レベルにはいかないのです。
でもさすが本作は他の映画と一味違います。
監督の意向で撮影が終わるまで決してお互い顔合わせすることを禁じられていたのです。
筆者の意見ですが人間というものは様々な影響で変わっていく、つまり人というものは時間とともに成長していきます。
フランソワ・トリュフォー監督の名作「大人は判ってくれない」でもトリュフォー監督の幼少期を演じた子役はやがて大人になるとなぜかトリュフォー監督にそっくりになってしまうのです。
なので映画で違う時代の同一人物を演じるとたとえその人の顏知らなくても勝手に似てくるのかもしれませんね。
人の成長はときに全く違う人間に変わることもあるということです。
作品の方向性のみを合わせることが、ひとりの人物を時代ごとに描くということに関して一番重要なことなのかもしれないということかもしれません。
フアンを演じたマハーシャラ・アリが本作でアカデミー助演男優賞に輝いたとき、彼はスピーチで印象的なことを言っていたのでその時の言葉を借ります。
"役者は演じ切るのではない"
"その人物に生まれ変わることが重要なのである。"
映画の中では役者という概念を捨て、その人物になる。
それが役者であると彼はいっているのです。シャロンに関して言えば、それぞれ違う価値観の持ったシャロンが時代ごとに存在します。
そしてそれがある一種の成長として語り継がれるのです。
顔合わせをせず、自分の価値観、倫理観を備えたシャロンの成長こそが次の時代へ映画としてバトン渡しとなるのかもしれません。
心の支えとなるフアン
本作にてフアンは主人公のシャロンより重要だと思っています。
ドラックディーラーとしての裏の顏を見せる分、シャロンを助けるなど良心を持ち備えています。
彼のような部類のキャラがいるときは、裏と表のギャップこそが映画の醍醐味となってくる場合が多いのです。
彼の良心がシャロンの後の人生に影響し、まるで恩師のような存在です。
ゲイであると告白する
シャロンが徐々に自分のイレギュラーな性的指向に気づき、僕はゲイなのかとフアンに尋ねます。
学校にも家にも居場所がないシャロンにとってフアンは本音を語れる唯一の人物です。
"そこで彼は気にすることは全くない"
"徐々に分かっていくものだ"
とフアンは答えました。
このシーンこそが本作の強いメッセージでフアンの存在の大きさを目の当たりにするのです。
現実と理想の間
シャロンにフアンがドラックを母親に売りつけているとこを知らせるシーンです。シャロンが気になりフアンの家までわざわざ来て確認しに来るのです。フアンと母親の会話のシーン同様、表情を浮かべ、素直に認めるのです。
本作でのフアンというキャラクターは彼自身自分の行動と理想との矛盾が生じたことへの静かな怒り、申し訳ない気持ち、そしてディーラーというビジネスへの誇りが同時に入り乱れ、そのすべてが一気に込み上げたような表情をしています。
表情は人の感情を読む上で重要ですが、この俳優は自由自在に表情を変え、物語を語るのにものすごく長けているのです。
なぜ助演男優賞に輝いたのか
最後に彼の演技への評価についてです。
各映画賞の賞を総なめにアカデミー賞まで取ったこの俳優、様々な方面で40分しか出ていないのに受賞はすごいと絶賛の嵐である。
さらに「グリーンブック」でも助演男優賞を2度受賞しました。
本作の出演時間40分というのは確かに短いですが、過去には2分30秒でアカデミー賞に輝いている人もいます。
僕は彼の評価についてたとえ出演時間が少なくても、彼の精神、思いは111分通じて生きているのであると思います。
物語の中盤で彼が死んでいるのがいきなりわかりますが、実際大人になったシャロンはフアンと同じ道を進んでいるのです。
最後のシーンでフアンと同じターバンをしているシャロンを見ると尊敬していることがわかります。
さらにフアンと似た金歯、車には彼の形見?語られませんでしたが「王冠」をフロントガラスの前に置いています。
フアンという男は確かに死にました。
しかし彼の精神そのままシャロンというひとりの男に受け継がれ、彼はシャロンと共に生きている、そんなことを連想させるのです。
そう感じさせる、死んだ後も彼の存在感を感じる、これこそがフアンというキャラクターの魅力であり、俳優マハーシャラ・アリへの評価の表れなのだと思います。
破天荒な母親ポーラ
母親という役柄はどの映画にも出てきますが、本作での母親の印象は強烈です。
母親を演じたナオミ・ハリスはこの映画ために喋り方を変えているのです。他の彼女の作品「007スペクター」などをみると一目瞭然ですが完全に違う女優です。
アメリカ南部の独特の訛りと
ドラック依存症の風貌が
母親の波乱的な性格
を印象付けています。
本作の最大の見せ場のシーンでも彼女の演技は突出しています。大人になったシャロンが療法施設にいる母親と再開を果たすシーンがものすごくしんみりきます。
「あなた(シャロン)が愛を求めていたときに私は愛を与えなかった。だからあなたは私を愛していない。だけど私は今あなたを愛しているの!!!」
と息子の前で泣きわめくのです。
ここの一言一言がとてもとても重いです。ずっしりと観客に投げかけてきますが、本作は男同士の純粋な恋愛映画といわれます。
でも母と子の切ない親子の軌跡を辿っている映画でもあるのだと思う。
シャロンは大人になってもひどい仕打ちで母に心を開けていませんが、ここで本作の一種のメッセージを感じます。
父同様に慕っていたフアンの本当の顏を知った彼はやがて距離を置くようになり、最後まで母親との愛情キャッチボールは成立していなかったのです。
全ての出来事がドラックと絡んでおり
それこそが今現代のアメリカが抱える最大の問題
つまりドラックは人を変え、人生すらを狂わせるものであるということを伝えたいのかもしれない。
もしかするとひとりの少年シャロンにとって対照的に思えるフアンとポーラには違いがなかったのかもしれません。
それを象徴するかのようにフアンの本当の顏が知られた後はほとんど映画には登場せず、いつの間にか彼の死を観客は知ることになるのでした。
キャラクターの魅力のみでこれだけ書かせるこの映画とても恐ろしいです。
あまり多くの役者が出ている映画ではないですが一人一人が他にない魅力を兼ね備え、個々で輝いています。
圧倒的映像美が彩る黒人たち
やっと本作の本質的な部分を探っていこうと思います。ここでは映画の技術的な部分も重要視します。
革新的な技術がこの映画の質を、キャラの深みを持ち上げました。本作を撮影する際に製作陣は「黒人をどう表現するのか」を徹底的に追求しました。
こんなに黒人が美しく
斬新的に描かれている映画
は他にあるであろうか。
一言で美しすぎる。
いままでの肌の色で人間の評価が決まっていた時代から黒人は白人より劣等的な人種であるという固定概念がありました。
なので、必然的に映画というものも白人がより輝けるようにということが第一優先でした。
でも最近になって、ようやく黒人の映画が評価されるようになりましたが、そのほとんどが黒人の奴隷や、苦し紛れに奮闘する話など、黒人の勇気付けにはなるが、彼らの本質的な部分をついた映画は一切存在いませんでした。
そこには必ず白人の存在があるという背景が映画にはあったのである。
しかし、この映画はその黒人に対する固定概念と積極的にブチ壊し新たな挑戦をしたのです。
そこで監督は黒人がもっともスクリーン上で輝く方法として
「肌の光が反射している部分の色を抜き、白く光らせるために新たに青色を付け足す」
ということを行いました。
夜中の海辺に立つシャロンを例に、海の青色と彼の反射しているときの青みが実に調和し、映画を超越して芸術の域を超えているのです。
劇中、フアンは幼少期のシャロンにこんなことを話しているのである。
「僕はキューバ出身なんだ。昔、僕(フアン)が海で遊んでいたら、黒人の男の子は月の下で青く光って見えるよねっていわれたんだ。」
というシーンがありますがこれこそがこのムーンライトという映画の醍醐味であり、すべてであるのだ。
僕らに対するメッセージとは!?
最後のシーンでは幼年期のシャロンが海辺でこちらを見つめます。
場面が切り替わりムーンライトの文字がスクリーン一面に映り出され、エンドロールとともに静かなビート音が鳴り響く。
ここでほとんどの観客が唇を噛み締め、この映画を賞賛するのだと思います。
黒人、貧困層、そしてLGBTを扱い、いまアメリカが直面している大きな社会的な問題に投げかけた本作は、単なる映画の中の話ではなく、実際に起こっていることなのです。
この3つの問題に覆い被るかのようにドラックの現状を同時に赤裸々に描いています。
社会的地位の低い黒人貧困層には追い討ちをかけるかのようにドラックの誘惑が背後には存在します。
実際に起きていることの現状だけ理解し、デスクワークで解決しようとしている人たちには彼らの心情や思いなど到底理解出来ません。
実話を描いた映画ほどインパクトがある映画は他にありません。
まさにこの映画はいまアメリカで苦しんでいる人向けであるとともに、人々がそれを知るキッカケにもなるはずです。
でもただドキュメンタリーのような現状の報告ではなくて、同性愛ということだけで障害を受ける人たちの純粋な恋のお話でもあるということです。
単純に感じる障害の卑劣さを描くのではなくて、彼らがもがき続ける人生の話であるのです。
ただ人の不幸や彼らにのしかかる問題を超えて、ピュアなこれまでにない儚い恋物語は他にあるのであろうか。
しかし、それらの根底には必ず彼らの様々な苦痛が浮き彫りとなって僕らに伝わります。
純粋な1人の儚い恋物語を体験していたはずだったのに、静かなビート音とともにこの映画が贈るメッセージを僕らは噛み締めて感じることができるのです。
最後に注目すべき箇所は最後の恋の発展です。
はじめて心を許した相手と想いを馳せるのでしたが、次の日は学校という不条理な環境の中彼らの関係に修復不可能な亀裂が生じます。
会うことがなく時間だけが過ぎていくのでしたが、突然10数年後に一本の電話から再開を果たすのです。
10数年のブランクがあったにもかかわらず、シャロンはその想いを10年越しでこう伝えるのです。
「あれから(学校での事件)一度も他の人を愛したことはなかった。君がはじめてであり、唯一だ。」
その辺の始まる前から結果の見える恋愛映画とは一味も二味も違うことを理解して頂きたい。
あんなに酷い仕打ちを受けたにも関わらず、それを忘れたかのようにひたすら1人の男性を思い続ける一途な人間。
こんなにも儚く真正面に思い続ける恋というものがあるのでしょうか?
性別の垣根を超えてどんな恋愛映画より、素敵に見えるのはぼくだけであろうか。
鳥肌がたち開いた口が塞がらないような興奮を覚えされるのが本作「ムーンライト」なのです。
そして、この映画と日本の関係性について言及しておきます。
正直アメリカの奥地の話に過ぎないため日本人には共感出来ないのではと考えていましたが、よく考えると様々なメッセージを僕ら日本人は受け取ることができると思います。
マイノリティーのコミュニティには勿論今後の映画製作への強いメッセージであるとともにもう映画を楽しむ、完全な娯楽映画は終わりを迎えました。
娯楽映画はこれからも永遠に人々の心に残り続けると思いますが、中身のないメッセージ性のない映画に容赦はしなません。
例をあげると、マーベルの「キャプテンアメリカ:シビルウォー」は上記の内容に概要する1つであると思います。
娯楽映画として楽しめる反面、この映画には今のアメリカの政府の対応への風刺映画でもあるのです。
映画を通じて世の中を変えようとする動きが今の主流な映画製作であり、重要なことです。それを裏付けるかのように「ムーンライト」が評価されました。
ハリウッドの新たな時代の幕開けを象徴する「ムーンライト」のアカデミー賞受賞。
バックグランド関係なく、すべての人間が同じ土俵で審査されるということがやっと現実味を帯びてきて、そんな新たな時代に僕らは今いるのかもしれません。
びぇ!