こんちくわ!Shygonです!
今回はカンヌ映画祭を賑わせたイラン映画
桜桃の味
について熱く語りたいと想います!
1997年に製作された本作は、カンヌ映画祭の最高賞にあたるパルム・ドールを受賞したイラン映画。
イランを代表する巨匠アッバス・キアロスタミ監督の最高傑作です。
あらすじ
イランの首都テヘラン。
テヘラン全体を覆う炎天下の中、ひとりの中年男性はただ車を走らせながら人探しをしていた。
人生を終わることを決めたバディは自分が亡き後、その後始末を担ってくれる人間は探していた。
自殺することを決めて、軍に入隊したばっかりの新人軍人さん、アフガニスタン出身で神学を学ぶ学生、博物館で働く老人など一度説得するも断られるバディ。
そんな平凡な時間はこくこくと過ぎて行き、バディの心の中が徐々に剥き出しになって行く。
桜桃の味を噛みしめる
イラン出身の映画監督として、国内外で高く評価されるアッバス・キアロスタミ監督。
その独特の世界観でイランの日常を断片的に描く様は異様な空気にいつも囲まれているような気がする。
世界最大のカルピ海に面する小さな村コケールを舞台にイラン国民の日常生活をドキュメンタリータッチで3作描き続けた。
日本からするとあまり馴染みのない中東の国がこうした形で日本に浸透している。「コケールトリロジー」3部作では、ただただイラン人の生活する様子を現実と創作の中で描き切った。
1997年に製作された本作は、キアロスタミ監督の集大成とも言える作品で、同年のカンヌ映画祭では最高賞にあたるパルム・ドールを今村昌平の「うなぎ」と共に受賞した。
それまで現実と創作の間について長らく議論し続けたキアロスタミ監督が、描いたのは生と死。中年男性が首都テヘランをウロウロ運転しながら、自分の最期について説こうとした。
自分の死後に、大金を払うから、事後処理をしてほしいといういっぺん変わった依頼を受けてくれる人を探しては、ウロウロする。
イスラム教の教えが根強く残るイランでは、多くの人が自殺は誤りであると考えている。
100分程度の本編では、主人公が街中で見つけた3人の男と交渉する様が描かれる。
1人目は軍隊に入ったばっかりの新人軍人。優しそうでちょっとか弱そうな青年は、ヒッチハイクをして寮に帰る途中、主人公バディに拾われる。いかにも怪しい仕事に、怖気づき最後は車から逃げ出してしまう。
2人目は隣国アフガニスタン出身の神学生。神学を専攻する真面目な青年は学費を稼ぐかたわらアルバイトをして生計を立てる。
そんな彼はバディの自殺について、イスラムの教えにのっとり、自殺を食い止めようとした。体は神様からの賜物であるから、決して無駄にしてはならないと。これも結局バディを説得することができないで終わる。
3人目は博物館で働く老人バデリ。これまでの若くてエネルギッシュな若者2人とはうって変わり、のんびりとバディと会話を楽しんでいるように見えた。
隣国トルコの詩を用いて、高度な会話をする。3人とも会ったばっかりの赤の他人の話を親身に聞き、やがて引き止めようとする。
バディのその決断は揺るぐことがなく、独特の持論と方法で命を終わる準備に取り掛かる。
一風変わった倫理観
その自殺の依頼とは何なのか。
それは至って簡単なものである。
バディは丁寧に毎回説明する。
"君は明日の朝6時にここに戻ってくる。"
"僕の名を2回呼ぶ。"
"バディさん。バディさん。"
"生きてたら起き上がって返事をする。"
"返事がなかったらシャベルで20杯穴にかける。"
"そして、トランクにある20万トマンは君のものだ。"
本作はアッバス・キアロスタミ監督の代表作として1番有名な作品であると思う。なので彼の名前を聞くとこの作品を思い浮かべるであろう。
でも、彼のキャリアのはじめは作風がガラッと変わっていた。
のどかなイランの田舎を舞台に、人々が生活する様を描く「コケールトリロジー」やドキュメンタリーまで撮った。
彼が生と死について説きはじめ、代表作は本作の「桜桃の味」と「風の吹くまま」であろう。
イラン北部のクルド人村の不思議な葬式をインタビューするためにテヘランからジャーナリストがくるというお話の「風が吹くまま」では、中々葬式が行われない中で、ジャーナリストがついに痺れをきたすというストーリーだ。
「風の吹くまま」とは全く違った角度から生と死について説こうとしたキアロスタミ監督。映画として研究する日々が始まった。
びぇ!