人は凶悪である。
全ての人々は平等にあると自分たちで宣言しながら、しばし守られない。
基本的人権として保護されながら、人間は欲にいとも簡単に負けてしまう。
金のために、これまで積み上げてきたものを自分でなし崩しにする人間をよくみる。
本作は実際に起こった事実を基に、殺人の罪で死刑判決を受けた元暴力団幹部が獄中から、新たな事件をジャーナリストに暴露する話だ。
大手週間雑誌に勤務するジャーナリストに、ある日手紙が送られてくる。
既に数々の殺人に関与したとして、死刑判決の出ていた須藤からのものだった。
彼いわく、自分と同じように殺人を行う人間がまだシャバでのうのうと生きていることが気に食わないという。
先生と慕った人物は、須藤が師事を仰ぐ人物で、保険金のかけられた人間を、自殺と見せかけて殺害し、その保険金を搾取していた。
金のためから、なんでもする。酒をガブガブ飲ませ、泥酔させたあと、自殺と見せかける。
もうそこには感情などなく、ただ金を儲けるための手段でしかなかった。木村と呼ばれたその人物は、上手く周囲を洗脳し、巻き込む。
死刑囚須藤も、そのひとりで、先生のために何度も非人道的なことを繰り返してきた。すべては先生のため、先生が喜んでくれたらそれでいい。どっかで聞いたことのある話だ。
高く結ばれた仲間意識が、善悪の判断を鈍くする。
異変を感じ逃げ出した仲間は徹底的に追い回され、蜂の巣にされるまで殴られ、最後は殺される。
先生を裏切っていいことなんてない。
"なぜ裏切る?"
"なぜわからない?"
そう自分に言い聞かせ、先生のため、須藤はその身を自ら破滅へと追いやっていった。
そして、暴力団らしく覚せい剤に溺れ、最高の自分へと豹変しながら、欲のままに、右も左もわからないまま時間だけが過ぎていく。
気づいたときには、光もまともに浴びれない独房の中で、ひとりふつふつと考えに老ける日々を送っていた。
本作がはじまる前、冒頭にこんな文章をみる。
本作は事実を基に作られた。
これはフィクションです と。
そんな注意書きから本作は幕を開ける。
死刑囚の言うことなんか普通は信じない。
ただでさえ理解できない、その頭脳から語られることなんて信じたくない、聞きたくもない。
そんな狂人の言うことを唯一信じ、ひとり調査に打ち込んだジャーナリストは、暴露記事を発表し、それによって警察が動き、新たな犯人逮捕に繋がったのだ。
ただ本作には、映画の内容を飛び越えて、信じられない真実と見事に合致するのだ。
本作で死刑囚須藤を演じたピエール瀧は、2019年初頭長年のコカイン使用の罪で捕まった。
実力派俳優として、芸能界を多くの友人を持った彼のスキャンダルは世の中に大きな波紋を広げた。
そんなピエール瀧が演じた死刑囚須藤はとにかく怖い。覚せい剤をバンバンに注入し、獲物を追い回すトラのような目つきで、女性をレイプし、殺害する。
まさに非人道的な絵。
映画の中だけで完結し、俳優として、それを演技として、演じるからと、俳優としての実力を認められて、本作で日本助演男優賞に輝いた。
みんな演技としての、麻薬に溺れた狂人を評価してたのに、これじゃぁ、単純にジャンキーやん!と言わんばかりにポツリと言葉が溢れてしまう。
ピエール瀧は、本作以外でも北野武監督の「アウトレイジ」で個性的なギャングを演じたり、いるだけで映画が成り立っちゃう、代用の効かない不動の位置にいた俳優さんだと思ってる。
女性への暴行で捕まった新井もそうだが、映画やドラマで独特の悪役を演技として、表現できるから、彼らは天才と評されたのだ。
ほんとに捕まっちゃあ、単純に悪い奴になってしまう。
先生と仰がれた木村を演じたリリー・フランキーはもっと手強い。軽く笑みを浮かべながら、微動だにせず、人を殺める。
映画に出てくる数々の殺人鬼の中で、須藤みたいなザイカれ野郎はさほど怖くない。もう目から人殺す形相をしてるし、狂人として頭の中で区別できる。
ただ「ノーカントリー」のようなニヤニヤしながら、可愛い女の子を見つめる男の子と全く同じ形相で、人を殺されちゃあ、こっちも待った!と言わざるを得ないのだ。
そんな最上級の殺人鬼を演じた、リリーフランキーだけは捕まっちゃダメだよ!といまから念を推しておく。
びぇ!